北九州アート図鑑をご覧の皆様こんにちは。
今回はアート図鑑のアーティストでもある書道家「栗原光峯」が、光峯先生主催である和樂書院の皆さんと共に到津八幡神社様へと書を奉納した際についてのインタビューです。聞き手はアート図鑑のHPを担当している糸数(いとかず)です。
光峯先生に加え動画を撮影編集したチームから、北九州のまちづくりや教育事業、古代史の勉強会などをされている中川康文さんにもお話を伺いました。
到津八幡神社へ書を奉納した動画「天籟」について
今回は、アート図鑑のトップページにもあります、書道家栗原光峯先生の動画「天籟(てんらい)」についてお聞きしていきます。
到津八幡神社に書を奉納するというイベントを撮影した動画になります。まだご視聴されていない方は、ぜひ先にご視聴ください。
糸数:いかがだったでしょうか。臨場感溢れる動画になっていますね。
それではまず、「龍が翔び鳳が舞う。燦燦と天籟の聲を聴く」という言葉を選んだ意図を、栗原光峯先生に伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。
光峯:太古の昔から日本人は、空を見上げては変わりゆく雲の様相の中に龍や鳳を見出し、良いことが起こる兆しを追い求めてきました。
揮毫した時期は正に暗雲が続くコロナ禍、天から突如、龍や鳳が現れ,私たちを導いてくれないだろかとの期待と祈りを強く込め「龍翔鳳舞(りょうしょうほうぶ)」というエネルギーの高い四字熟語を選びました。
そして「天籟(てんらい)の聲(こえ)をきく」と、書きました。
書き終わるや否や一迅の風が吹き、私の頭上の木々に蓄えた雨粒がバラバラと打楽器の様に落款に落ちました。
「栗原光峯と和樂生徒の祈り、しかと受け取りましたよ」と、雨粒が応えてくれた様な優しい水滴でした。
地籟を聞くも未だ天籟を聞かず
引用元:ー道教始祖 荘子の言葉
光峯:荘子の3つの概念
人籟 地籟 天籟
人籟とは、言葉や歌声などの人が発する音の響き
地籟とは、自然の中を吹き抜ける風の響き
天籟とは五感を超えた知覚で感じ取る天の聲のこと
五感を研ぎ澄まし、感受性を磨き、自然に生かされて無病息災に過ごせる奇跡に感謝する
心の聲に正直に生きる
その事を神殿に誓いたくてこの言葉を選びました。
糸数:なるほど。すごいです。自然の音からメッセージを受け取る話に、いかに栗原先生がその瞬間研ぎ澄ましていたのかが伝わります。
「燦燦と」が降りてきた瞬間の話
糸数:それから「燦燦(さんさん)と」という言葉はどこから来たのでしょうか。
光峯:「燦々と」の部分は、『愛燦燦』という歌の題名から引用しました。
私の前に生徒が「愛」と奉納揮毫したのを受け、バトンを受け取った証拠を揮毫文字の中に入れたかったからでもあります。
また、燦々とという言葉の響きも美しく自然界の光や雨を表現する時に使う情感溢れる言葉なので、天籟の前に付けたい形容詞だと思いました。
雨や光に溢れ出る強い意思が感じられる形容詞だと思います。
書き終えたとき、雨が燦々と、私の身に落ちたので、鳥肌が立ちました。
糸数:おお・・・ありがとうございます。私は現場には行けなかったんですが、神がかってる印象を受けて身震いしています。
中川さんが動画「天籟」の編集者になった経緯
糸数:ここからは、実際に動画の撮影編集をした中川氏に話を聴いていきたいと思います。
中川:光峯先生と何か別の話をしていた時に、たまたまお声がけいただき、今回撮影することになったのですが正直恐縮しました。
このアート図鑑が設立する議論を少しサポートさせていただいただけでしたので、僕自身は動画についてのキャリアは少なかったんです。そこで一緒に動画も作成したことがあり、動画のキャリアもあった88グラフィックというデザイン事務所の代表馬場さんと一緒に撮影編集しました。
「天籟」の前に『あわいとおもい』という、これも光峯先生の書を撮影した動画があります。フューチャースタジオの岡浩平さんと馬場さんが撮影した動画です。こんな感じです。
こちらもギャラリー八で撮影されました。
これは岡浩平さんの編集が見事で。ぜひ皆さんに見ていただきたい動画です。音と光峯先生の動きがリンクしているんですよ。なかなかローカルでここまで編集でやれる人はいないと思います。
映像だけできる人、音だけできる人はいるんですけれど、両方できる人はなかなかいなのではないでしょうか。
YouTubeのスクショですが、ここらへんの書の始動と琴と尺八のコラボ感がめちゃめちゃ好きですね。なんか、もはやジャズみたいな世界観ですよ。
糸数:琴と尺八の音と水の音と光峯先生の筆の映像と、全部がマッチしてますね。すごい!
中川:逆に言えば、その動画がとても良かったので、続く僕らとしてはプレッシャーですよね。
「あわい」を切り口にした動画の意図
糸数:直近に良い作品があって、緊張感のある制作だと思います。実際に撮影する前に気を付けられたことなどありますか?
中川:ただ撮れば良いというわけでもないですよね。アーティストさんの映像を撮影するというのは、そのアーティストさんの価値みたいなものを上げなければならないわけでしょ。
でも僕らにはまだそこまでのスキルは無いんです。だから意図が必要でした。光峯先生が伝えたいことを受け取る力というか。
ただ撮っただけの動画はつまらないじゃないですか。そのまま撮影するだけではライブには敵わないですよね。だからこそ意図が必要なんです。切り口といってもいいかもしれません。
最低でも、意外な一面を表現するとか。しかし、僕らが光峯先生の価値を上げるみたいなことは、まずもって無理だなと考えまして。で、いろいろ考えました。どうしたらいいかなと。
そこで、事前にお話しさせていただいた内容の中で、前段の動画にもでてきた『あわい』という考え方に注目しました。閒と書くこともあるのですが、何かと何かの間のことですね。
糸数:意図や切り口、コンセプトと言われたりもするものでしょうか。中川さんはここで『あわい』という考え方に注目したということですが、その点を動画とはどう結びつけていくのでしょうか??
中川:光峯先生が以前に『私はあわいを想いで満たす』と仰っていました。その時に「あわい」というのは人と人が離れている状態を指すのだと、私は理解しました。肉体的にも、精神的にもですね。人は完全に分かり合えることはなく、どこかで離れている。
今は、難しい時代の中でその距離が少しずつ離れてきている現状だと思います。人はその人と人との間があるからこそ人間なんですよね。人はひとりでは人間になれない。誰かと共に生きているからこそ人間なんだと。
だから、その間を『私が思いで満たす』と言う光峯先生は凄いわけですよ。器が大きいんですね。『満たす』ことは私にはできないなと思いました。うーん難しいなと思っていたんです。
糸数:人間関係の距離感の話程度に「あわい」を認識していたら、栗原光位峯先生はそれを包んでいくような世界観ですね・・・予想の上をいくスケールの話で驚きました・・・
撮影現場で見た「あわいを満たす」ようにかかる紙の橋
中川:そうこうしているとあっという間に、もう前日ですよ。そこで前日に会場になっていた到津八幡神社様へ、打ち合わせも兼ねて伺いました。夕方の神社はとても居心地が良くてですね。
明日には提灯を点けるという話もお聞きし、13mの書を上げる予定でセッティングしていただく話もしました。なるほど、参道が紙で埋まるんだなとイメージすることができました。
本来であれば神社ではお祭りが開催され、多くの人が集まるような時期だったのですが、それは難しい現状でした。だからこそ届けたいと思いましたし、光峯先生も宮司さんもそういった想いを伝えたいだろうなと考えました。
そこで、紙を”橋”のように見せればいいのではないかと考えました。会場に来れない方々の想いを載せる橋ですね。そこで正面からのカットを固定にしました。紙が一直線に見えるように。これはYouTubeのサムネイルですが、この形ですね。
中川:この紙が、後半で奉納されていく際に、ちゃんと繋がっているんだということがわかるようにしたいと考えました。
後から見直すともう少しカメラを下げて、画面下のラインで紙幅が揃う様に撮影すれば尚良かったなとは思いました。まだまだですね。
これも動画のスクリーンショットになりますが、この絵は『撮れた!』と思いました。ファインダー越しにちょっと泣くくらい。『光の橋が通せた』と。
映像で間を包むまではできないけれども、繋げることはできた!と、僭越ながらですけど。
糸数:多くの方が両側から持ち上げている様子が心に刺さるのですが、これもいいですね。説明は出来ないんですが、情緒があると言いますか。
中川:そう、そうなんですよ。この日は一般的には告知なしで開催されたんですが、光峯先生の教室である和樂書院の皆さんや、たまたま剣道教室の皆さんが来られていまして。
本来はスーッと上げる予定だったんですが、当日は非常に風が強くて紙が破れてしまいそうだったんです。そこで参加されていた皆様のお力をお借りしました。
それが、光峯先生だけの力ではなく、たくさんの人の力が合わさって橋を架けることができたという表現に繋がりました。とても良い結果になったと思います。
偶然ですけれど、それが実際に起こったことが、光峯先生のお力なんだろうなあと思いますね。
編集する際には、少し皆さんの顔がわからないようコントラストを上げ影の部分をつぶしています。それによってより光が際立つことになって良かったと思っています。
動画に使用した音源について
糸数:他に撮影する際に苦労したことなどがありますか?
中川:番苦労したのは音楽ですね。後半、書が上がっていく際には、事前に録音した太鼓と祝詞の音がきっちりはまったのでばっちりだったんですが、前半部分の音が決まらなくてですね。
会場では胡弓の『愛燦燦』が流れていたんですが、YouTubeにアップする際には権利関係が難しい音は使いづらくて。そこで音楽の有料ダウンロードサイトを聞き込むことにしました。
500曲くらい聴いたところで、今回使った音に出会って編集のイメージが拡がりました。今回はアートリストというサイトから選択しました。編集は最後、馬場さんがバシッと決めてくれました。
糸数:1つの音源にたどりつくまでに500曲も聴いたんですね。すごいです。3分の動画の中にもいろいろとドラマがあったんですね。
中川:そうですね。僕らも想いを込めることができたかなあと思っています。少しだけ、あわいを満たすお手伝いができたのなら嬉しいです
糸数:ありがとうございました!最後にお二人の素敵な笑顔を取らせてください。何か一言ずつ。
光峯:到津八幡神社様に、素晴らしいご縁をいただいたことに感謝いたします。
中川:本当にそうですね。ありがとうございます。
取材を終えて
こちらをお読みいただいた皆さん、是非もう一度、この動画を見てください。より深い理解に繋がるのではないでしょうか。
アーティストが自分の意図を語るというのも、なかなか珍しいことなのではないでしょうか。しかし、アーティストが作品を作るときには、必ず想いや意図をこれでもかというくらいに込めています。
そのような、なかなか語られないアーティストの本音を聞いて皆様にお伝えしていくのも、アート図鑑の仕事であろうと考えています。
感染症渦巻く時代だからこそ、アート図鑑が皆さんとアートを繋ぐ架け橋に。いや、「あわいで満たす」メディアに成長していければと思っています。
今後もこのような記事を書いていく予定です。北九州が誇る先輩方にインタビューしていければと考えております。ぜひ、アート図鑑のSNSやHPをチェックしてください。どうぞよろしくお願いいたします。